第85話 わな
「この辺、だよね…?」
手にした地図を見ながらつばめは周囲を見渡す。
学校の敷地としては隅の隅、最も奥まった場所にあるプレハブの物置き。開閉できる窓も付いていない様な窮屈そうな建物に、素人文字の手書きで『空手部』と書かれた看板がぶら下がっていた。
如何にも人に見られたくない事や聞かれたくない話をするのにうってつけの場所であり、事件が起きるのはこういう場所だとつばめ自身も強く理解していた。
「『疑問に答える』なんて呼び出す為の方便だってのは、いくらわたしだって分かってるんだから。誰だか知らないけど早く出てきなさいよ…」
人気の無い場所で独りで居る恐怖を紛らわせようと、つばめは独り言で己を鼓舞し、改めて周囲を警戒する。
「へぇー、ホントに女が来たよ。あのメガネ女も悪党だなぁ」
背後で若い男の楽しげな声がした。慌てて振り向いたつばめは、制服を着崩したガラの悪そうな男子生徒6人を目にする。
「え〜と、何だっけ? 何かをするなってコイツに言えば良いんだっけ?」
「そんなん何でもいいよ。この子とヤッちゃっていいんだろ?」
「俺はもう少し胸の大きい方が良かったなあ… でも良いや、デキるなら誰でも」
ニヤついた顔でつばめを囲もうとする男子生徒達。女子の軍団に出迎えられると予想していたつばめは、今起きている事態に頭が反応出来ないでいた。
『何を言っているのこの人達…? わたしに乱暴するつもりなの…? でも何で…? 男子の恨みなんて買ってないのに…』
ここでつばめの考える『乱暴』とは『殴打』の事であり、『性暴行』の事では無い。
と言うのも、つばめ本人に加えて小中学時代から周りの友人も、実際に男女交際をした者はおらず、つばめも知識として基本的な性教育を受けてはいるが、それを『自分に関係あるもの、近しいもの』としての実感が全くと言って良いほど育っていなかったのである。
つばめにとって『性行為』とはアニメやマンガ、映画やドラマ等で他人の行いを『見るもの』であり、自身が『体験するもの』では無かったのだ。
従って、発情している男子に囲まれても、つばめが抱いていたのは『殴られる?!』という斜め上の恐怖であった。
「……っ?!」
経過がどうであれ、結果的にボロボロにされる集団暴行が分かりきっているので、つばめは包囲網が完成する前にどうにか逃げ道を探れないものかと三度周囲を見回した。
そして正面は男子生徒、後方は壁と建物だ。逃げ道など何処にも見つかりはしない。つばめには複数の男子生徒を退ける打撃力はもちろん、壁を飛び越すジャンプ力も無い。
『綿子や蘭ちゃん、御影くんにまで注意を受けていたのに、わたしは何で1人でも解決できると思い上がっていたんだろう…?』
つばめの心には己の身の上に降りかかろうとする不幸よりも、慢心から友人らの助言を無駄にしてしまった申し訳無さが強く占めていた。
☆
「はっ! そうだ、つばめちゃんは?!」
我を取り戻した蘭は傍らの綿子に詰め寄った。
「そ、それがホームルーム終わると同時にそそくさと1人で出かけて行っちゃったんだよ… あたしも何も聞いてないんだ…」
蘭の態度に面食らいながらも綿子が答える。蘭と綿子、2人同時につばめの机に近づき、何らかの手がかりが無いかと探索を始める。
つばめの机の中にはまだ教科書とノート類が入っており、横には鞄が吊るされていた。つまり『また教室に帰ってくるつもりで出かけた』という意味だろう。ならばまだ学内のどこかに居る可能性は高い。
その他に見つかったのはハガキ大の上等な封筒が1枚。宛名や差出人等の記載は無く、中身はつばめが持ち出した為に中には何も入っていない。
「きっと誰かから手紙をもらって呼び出されたんだわ… ホントにあの子はもう! 1人で動くなって言ったのに!」
「手がかり無しじゃ探しに行く事も… うん…?」
悲嘆に暮れる綿子が視界の端に見つけたもの、それは綿子達をチラチラ見ながらコソコソと話し合って笑っている沖田親衛隊の3人だった。
『沖田くんはさっき部活に出ていった。普段なら彼を追い掛けてさっさと教室から出て行くはずのあの子達が、何をするでなくあたしらを見ながらコソコソしている。そしてつばめっちは以前彼女らに嫌がらせを受けていた。これは一体…?』
綿子は自慢では無いが考える事が苦手だ。『変に考えるより聞いた方が早い』が信条である。綿子は迷う事なく親衛隊の集まる武田の席に近付いた。
「ねぇ、つばめっちがどこに行ったか知ってるなら教えて」
怒りを内包しつつもそれを表に出さない、結果、普段は御侠な綿子とは思えない重く静かな声が、人の減りつつある教室に響いた。
「…な、何よ急にっ。そんなの知るわけ無いじゃない!」
綿子からこんなにも単刀直入に質問されるとは思っていなかった武田らは、挙動不審になりながらも「知らぬ」と強弁する。
もちろん嘘だ。武田は野々村から作戦の詳細を聞いており、残る木下と和久井にも既に説明済みであった。
だからこそつばめを心配して手がかりを探す蘭と綿子の2人を面白おかしく観察していたのだ。
「お願いだよ。ここでやめたら絶対一生後悔しそうな気がするの。だから… お願い…」
声を抑えて頭を下げる綿子。つばめの身に起こるであろう事を知っている武田らも、知っているが故に共犯者だと自白するに等しい答えを教える訳にはいかなかった。
「そ、そんなこと言われても…」
「し、知らないって言ってるでしょ!」
「そ、そーよそーよ!」
尚も回答を拒否する親衛隊。数で上回っている分、勢いで流してしまおうという魂胆なのだろう。
頭を下げたまま唇を噛む綿子の横に蘭が現れ、切羽詰まった表情で同様に頭を下げる。
「私からもお願いします。つばめちゃんの居場所を知っているのなら教えて下さい!」
2人に頭を下げられても武田らの態度は変わらない。むしろ早く解放して欲しくてウンザリした表情になっていた。
「しつっこいわね! 何度言われても知らない物は…」
ダァンッ!
武田の反論は大きな衝突音、いや破砕音にかき消された。
見れば蘭の振り下ろした右腕が武田の机を半壊させていたのだ。
上部に貼られた厚さ2cmの合板は真っ二つに割れ、その下の鉄製のフレームも中央からVの字にひしゃげていた。
一気に血の気の引いた親衛隊に向けて、蘭は今出来る精一杯の笑顔を見せた。
手にした地図を見ながらつばめは周囲を見渡す。
学校の敷地としては隅の隅、最も奥まった場所にあるプレハブの物置き。開閉できる窓も付いていない様な窮屈そうな建物に、素人文字の手書きで『空手部』と書かれた看板がぶら下がっていた。
如何にも人に見られたくない事や聞かれたくない話をするのにうってつけの場所であり、事件が起きるのはこういう場所だとつばめ自身も強く理解していた。
「『疑問に答える』なんて呼び出す為の方便だってのは、いくらわたしだって分かってるんだから。誰だか知らないけど早く出てきなさいよ…」
人気の無い場所で独りで居る恐怖を紛らわせようと、つばめは独り言で己を鼓舞し、改めて周囲を警戒する。
「へぇー、ホントに女が来たよ。あのメガネ女も悪党だなぁ」
背後で若い男の楽しげな声がした。慌てて振り向いたつばめは、制服を着崩したガラの悪そうな男子生徒6人を目にする。
「え〜と、何だっけ? 何かをするなってコイツに言えば良いんだっけ?」
「そんなん何でもいいよ。この子とヤッちゃっていいんだろ?」
「俺はもう少し胸の大きい方が良かったなあ… でも良いや、デキるなら誰でも」
ニヤついた顔でつばめを囲もうとする男子生徒達。女子の軍団に出迎えられると予想していたつばめは、今起きている事態に頭が反応出来ないでいた。
『何を言っているのこの人達…? わたしに乱暴するつもりなの…? でも何で…? 男子の恨みなんて買ってないのに…』
ここでつばめの考える『乱暴』とは『殴打』の事であり、『性暴行』の事では無い。
と言うのも、つばめ本人に加えて小中学時代から周りの友人も、実際に男女交際をした者はおらず、つばめも知識として基本的な性教育を受けてはいるが、それを『自分に関係あるもの、近しいもの』としての実感が全くと言って良いほど育っていなかったのである。
つばめにとって『性行為』とはアニメやマンガ、映画やドラマ等で他人の行いを『見るもの』であり、自身が『体験するもの』では無かったのだ。
従って、発情している男子に囲まれても、つばめが抱いていたのは『殴られる?!』という斜め上の恐怖であった。
「……っ?!」
経過がどうであれ、結果的にボロボロにされる集団暴行が分かりきっているので、つばめは包囲網が完成する前にどうにか逃げ道を探れないものかと三度周囲を見回した。
そして正面は男子生徒、後方は壁と建物だ。逃げ道など何処にも見つかりはしない。つばめには複数の男子生徒を退ける打撃力はもちろん、壁を飛び越すジャンプ力も無い。
『綿子や蘭ちゃん、御影くんにまで注意を受けていたのに、わたしは何で1人でも解決できると思い上がっていたんだろう…?』
つばめの心には己の身の上に降りかかろうとする不幸よりも、慢心から友人らの助言を無駄にしてしまった申し訳無さが強く占めていた。
☆
「はっ! そうだ、つばめちゃんは?!」
我を取り戻した蘭は傍らの綿子に詰め寄った。
「そ、それがホームルーム終わると同時にそそくさと1人で出かけて行っちゃったんだよ… あたしも何も聞いてないんだ…」
蘭の態度に面食らいながらも綿子が答える。蘭と綿子、2人同時につばめの机に近づき、何らかの手がかりが無いかと探索を始める。
つばめの机の中にはまだ教科書とノート類が入っており、横には鞄が吊るされていた。つまり『また教室に帰ってくるつもりで出かけた』という意味だろう。ならばまだ学内のどこかに居る可能性は高い。
その他に見つかったのはハガキ大の上等な封筒が1枚。宛名や差出人等の記載は無く、中身はつばめが持ち出した為に中には何も入っていない。
「きっと誰かから手紙をもらって呼び出されたんだわ… ホントにあの子はもう! 1人で動くなって言ったのに!」
「手がかり無しじゃ探しに行く事も… うん…?」
悲嘆に暮れる綿子が視界の端に見つけたもの、それは綿子達をチラチラ見ながらコソコソと話し合って笑っている沖田親衛隊の3人だった。
『沖田くんはさっき部活に出ていった。普段なら彼を追い掛けてさっさと教室から出て行くはずのあの子達が、何をするでなくあたしらを見ながらコソコソしている。そしてつばめっちは以前彼女らに嫌がらせを受けていた。これは一体…?』
綿子は自慢では無いが考える事が苦手だ。『変に考えるより聞いた方が早い』が信条である。綿子は迷う事なく親衛隊の集まる武田の席に近付いた。
「ねぇ、つばめっちがどこに行ったか知ってるなら教えて」
怒りを内包しつつもそれを表に出さない、結果、普段は御侠な綿子とは思えない重く静かな声が、人の減りつつある教室に響いた。
「…な、何よ急にっ。そんなの知るわけ無いじゃない!」
綿子からこんなにも単刀直入に質問されるとは思っていなかった武田らは、挙動不審になりながらも「知らぬ」と強弁する。
もちろん嘘だ。武田は野々村から作戦の詳細を聞いており、残る木下と和久井にも既に説明済みであった。
だからこそつばめを心配して手がかりを探す蘭と綿子の2人を面白おかしく観察していたのだ。
「お願いだよ。ここでやめたら絶対一生後悔しそうな気がするの。だから… お願い…」
声を抑えて頭を下げる綿子。つばめの身に起こるであろう事を知っている武田らも、知っているが故に共犯者だと自白するに等しい答えを教える訳にはいかなかった。
「そ、そんなこと言われても…」
「し、知らないって言ってるでしょ!」
「そ、そーよそーよ!」
尚も回答を拒否する親衛隊。数で上回っている分、勢いで流してしまおうという魂胆なのだろう。
頭を下げたまま唇を噛む綿子の横に蘭が現れ、切羽詰まった表情で同様に頭を下げる。
「私からもお願いします。つばめちゃんの居場所を知っているのなら教えて下さい!」
2人に頭を下げられても武田らの態度は変わらない。むしろ早く解放して欲しくてウンザリした表情になっていた。
「しつっこいわね! 何度言われても知らない物は…」
ダァンッ!
武田の反論は大きな衝突音、いや破砕音にかき消された。
見れば蘭の振り下ろした右腕が武田の机を半壊させていたのだ。
上部に貼られた厚さ2cmの合板は真っ二つに割れ、その下の鉄製のフレームも中央からVの字にひしゃげていた。
一気に血の気の引いた親衛隊に向けて、蘭は今出来る精一杯の笑顔を見せた。