少女と機転と武者震い
〇黒曜樹海 防衛対象周辺
トモエからの教えを思い返したアオイは、視界端に示された生体情報を確認する。
心拍数は毎分百六十回。すでにレッドゾーンに突入している。
音がよく聞こえない。手も声も震えている。
「自分は普通の人間」
だが、パニックにはならない。
緊張と不安。それらを感じるのは当たり前だと、自らに言い聞かせる。逃げ出したいという原始的な欲求を意志の力でねじ伏せる。
「でも、大丈夫。もう知っている。どうすればよいか」
声の震えが少し治まった。
空気をすべて吐き出し、深く鼻から息を吸う。息が、喉を通り、肺を越え、腹にたまる過程を感じ取る。
心拍数は毎分百十回にまで落ちていた。手の震えは治まり、気迫が全身にみなぎっている。
「迷惑をかける訳にはいかない」
冴え渡ってきた意識を、迫る攻性獣へ向けた。命中率と安全を天秤にかけ、表示される距離を静かに見つめる。
「まだ……。まだ」
自分が巨人と化したかのような映像、三次元に合成された攻性獣の足音、戦闘服が伝える銃を抱える感触。
それらが生身で挑む緊迫感を生む。
「怖いけど、それが普通」
だが、それでも待った。そしてとうとう、攻性獣が想定するラインを越えた。
「今だ!」
気合とともにトリガーを絞る。
銃口から無数の赤い曳光弾が飛び出した。ほとんどが攻性獣に着弾し、その甲殻を砕く。視界の端には、呆気に取られて動かないオクムラ警備の二人。
「援護をお願いします!」
指示に合わせてオクムラ警備の二機が銃を構えた。三つに増えた銃火の光条。弾丸の奔流が、次々と攻性獣を砕いていく。
前に出てきた敵に照準を合わせる、撃つ、引く、次の敵に照準、撃つ。それだけに集中した。
そんな中、システムメッセージがコックピットに響く。
「オーバーヒート警告」
「銃身を交換します! フォローを!」
抜けた穴をカバーするように、オクムラ警備が位置を変える。緊迫した状況とは対照的に、システムメッセージは平静だった。
「銃身交換、開始します。作業完了まで10秒、9秒……」
即座に自動操縦に切り替わり、流れるような所作で腰部のホルダーから交換用の銃身を取り出し交換作業に入る。心臓の鼓動を聞きながら、自信ありげにつぶやく。
「よし。今度はオーバーヒートしなかった」
銃身交換が終わり戦線へ戻る。
三人対応を続けていくうちに、モニターに映る攻性獣の影が疎(まば)らになり、最後の一体が動きを止めた。
ふぅ、と息つくと、オクムラ警備の二人が安堵の声が聞こえた。
「なんとかなったな」
「危なかったぜ」
もう大丈夫と、緊張を解く。深いため息が身体から抜けていった。その時、リュウヘイの声。
「……なんだこりゃ?」
視界に意識を戻すと、ひらひらと舞う蝶が映りこんでいた。
白磁を思わせる羽と赤い瞳。鮮やかなコントラストが持つ神秘的な美しさ。それが無数に集う様はまるで花吹雪のよう。
その姿に見覚えがあった。
「これは……屍食蝶?」
白磁の吹雪は、死骸を食らう掃除屋だった。
可憐な見た目とは裏腹に、屍食蝶は攻性獣の死体にたかる。何かを攻性獣の死骸へ注入し、液化しはじめた死骸をすすり始めた。生々しさに一同が顔をしかめる。
「うわ。気持ち悪いな」
嫌そうに声を上げたレイジが屍食蝶に銃を向ける。何をやろうとしているか察し、思わず制止した。
「ま、待ってください!」
「なんだよ」
「この攻性獣を撃つと――」
今まで習ってきた内容をオクムラ警備の二人に説明する。オクムラ警備の二人はどこか他人事のように聞いていた。
「へえ。そうなのか。知らなかった。リュウヘイは知ってたか?」
「お前が知らない事は、俺も知らねえよ」
「それもそうか」
呑気な反応に内心呆れてしまう。だが、自分も以前は同レベルだったことを思い出し、浮かんできたのは苦笑いだった。
その時、さらに別の群れがモニターに表示される。
「待ってください! 別方向から!」
同時に、通信ウィンドウにトモエの顔。
「アオイ! 聞こえるか! 群れが向かっている! 転送するぞ!」
転送されたマップを見て、思わず頬が引きつった。捉えた群れとは別方向に、赤い輝点が表示されている。つまり――
「え!? 補足したのとは別!?」
二つの群れは現在地を挟んで正反対の方向に位置している。しかも、突撃兵装の機動力でギリギリ間に合うくらいの距離だった。
二つの群れを止めるためには、二手に分かれる必要がある。だが、オクムラ警備の兵装を見て、状況の困難さに顔をしかめた。
(ダメだ。突撃兵装のボクは片方に間に合うけど、この二人はもう片方に間に合わない)
真っ当な手段では防衛は無理だと悟る。
脳裏に浮かぶのは、ヒノミヤとミズシロの夢に満ちた瞳と、無残に壊された設備の前で絶望に満ちた瞳だった。
その顔を想像すると、透明な手に心臓を掴まれたように、呼吸が苦しくなる。
(どうする? どうすれば、両方の群れをこっちに引き付けられる?)
悩む最中、目に一匹の屍食蝶が映った。銃を吹雪の塊に向ける。
「これで!」
銃火と共に屍食蝶が砕け散る。オクムラ警備の二人が声を上げた。
「お、お前! 何をして!?」
「さっき自分で言ってただろう!? 攻性獣が来ちまうって!」
「だからです! 準備を!」
まるでテレパシーでも使ったかのように、攻性獣の群れは即座にアオイたちへ転進した。
「よし!」
直後、トモエからの指示が入る。
「アオイ。今の位置だと挟撃される。指定するポイントまで移動しろ」
「了解!」
指示に従い移動すると、攻性獣の群れが後を追ってきた。指定されたポイントまで退避すると、振り返って照準を赤い瞳へ向けた。
(引き付けて……。無駄弾を使わない様に……)
大量の弾薬を準備してきたが、垂れ流すように使える訳ではない。はやる気持ちを深呼吸で抑え、接近のリスクと命中率のリターンが釣り合うタイミングを見極めた。
「いけ!」
気合と共に放たれた銃弾は、ほぼ全弾が命中する。
調子は悪くない。予め確認していた残弾からすれば余裕とは言えないが、足りなくなる事はないと判断した。
(ちょっときついけど、なんとかなるか)
少しでも無駄弾を使わない様に集中する。その時、銃撃音が一つ消えた。
「やべえ! 動かねえ!」
振り返れば、オクムラ警備の機体が銃口を確認していた。
(動作不良!? こんな時に!? でも!)
だが、装備の一つがダメになっても予備の装備を持ってくるはずと判断した。だが、オクムラ警備が武器を切り替える様子はない。
パニックになっているのかと思い、通信を入れる。
「予備武器への切り替えを!」
「そんな都合よく持ってきてねえよ!」
「え!? サブマシンガンだけ!?」
呆れと驚きに思考が飛ぶ。が、前職の記憶を思い出す。
(そこまでするのはトモエさんだけか……。今はそれよりも)
起死回生の一手。それが必要だった。
思い出されるのは、グレネードランチャーで攻性獣を蹴散らしたヨウコの姿。だが、そんな装備はない。
「どうしよう。爆発物があれば……」
口から洩れた迷い。応じる様に切れ長の三白眼がミニウィンドウに映る。
「こちらにはあるのだがな」
ソウの装備を思い出す。それが今の状況と繋がった。
「……あ! 今から教えるポイントに行くから、狙える? 距離はこれくらい?」
「この距離は……。なるほど。だが植生が濃い。……ここでどうだ」
「結構遠いけど、そこしかないか。じゃあ――」
そこにトモエが待ったをかける。
「アオイ、説明をしろ。詳細不明のまま、実行はさせられない」
「えっとですね――」
内容をトモエに告げる。普通に考えれば無茶な提案だ。それを聞いた第三者が割ってくる。
「本当にできるのか? サクラダ警備とはいえ、新人だろ? ベテランでもできない」
それは元上司だった。言い淀んでいると、トモエが割って入った。
「アオイ。提案に対する勝算、および根拠は?」
根拠は、技量に絶対の信頼を置く相棒がいること。説明に不安や戸惑いが紛れ込まないよう一層注意を払い、声に確信をこめる。
「シミュレーション訓練中に確認しました。精度は十分にありました」
「ソウ。アオイの言うとおりできるということでいいか?」
「問題ありません。他の群れの対応で崖の上に居ます」
「対応しながらでいけるか?」
「命令ならば」
ソウの返事は気負い無く淡々としている。それが、何よりも頼もしかった。
「ということですが、うちの社員に任せてもらっても?」
「……いいだろう。失敗した際の責任さえ取って貰えるならばな」
その言葉で表情が固まる。
トモエの責任に話が及ぶとは考えていなかった。本来ならば元請が責任を取るはずなのだが、丸投げを元上司は口にした。
失敗したら謝罪の場で、トモエが矢面に立つだろう。
(トモエさんに迷惑がかかるかも知れないなんて)
いまからでも提案を取り下げようかと、弱気に襲われる。だが、もう口から出てしまった言葉は戻らない。
だが、トモエの口調に微塵の躊躇も混じってはいなかった。
「許可が出たぞ。やれ」
「ぅえ?」
言葉の意味が理解できなかった。
責任を取るから実行しろ。そう指示していると気付いたのは、二、三秒たってからだった。
即決に声が上擦ってしまう。
「いいんですか!?」
「責任を取るなんて、もともと仕事だ」
幼いころから働いていたがそんな言葉は聞いたことがない。初めての経験に震えた。
「分かりました! ソウ、よろしく!」
「了解」
作戦のためには、攻性獣の群れを狭い範囲に押しとどめる必要がある。
「まずは群れをなるべくまとめます! 一緒に牽制をお願いします!」
「くそ! 本当にできんのか!?」
「なんでこんなことに!」
時に圧をかけ、時に囮になりながら、群れを一箇所にとどめる。
とは言え、火力不足では完全に押さえ込むのは難しい。踏ん張りすぎて、群れに呑まれる恐れもある。
どこで仕掛けるかの判断が求められていた。
(本当はもっと集めたいけど……。そろそろ限界かも)
モニターに映る赤い輝点の群れを睨みながら、決断を下す。
(やるしかない! ソウとトモエさんのためにも!)
自分の提案を受け入れてくれた、ソウとトモエの姿を思い浮かべる。その後、目を瞑(つむ)り、深呼吸をして気を充実させる。
閉じた目を再び見開き、軽機関銃をフルオート射撃しながら群れに近づいた。
「こっちだよ!」
周囲の攻性獣が、一斉にこちらを向いた。
「かかった!」
次いで、後退に転じた。
後退を続けながら時々振り返り、飛びかかろうとする攻性獣にすばやく銃口を向けて粉砕する。
「この! この!」
大群から付かず離れず。危険な距離を保ちながら、暗い森のトンネルを疾走した。
大樹にぶつからないように駆けながら、リアビューに映る攻性獣の群れを見る。そこで心臓が凍った。
左右から二体の軽甲蟻が、盾のような頭部を突き出して体当たり仕掛けようとしている。画面の中のトモエが叫んだ。
「アオイ! 吹かせ!」
とっさにアサルトウィングの出力を上げる。加速度が全身を襲った。
「ぐ!」
先ほどまで機体が居た空間を、攻性獣が押しつぶした。
もし留まっていたら、無事では済まなかっただろう。嫌な汗が頬を伝う。だが、立ち止まっている暇は無い。
まだ、暗い森のトンネルは続いている。
「もう少し!」
機体を更に走らせる。目標地点まであとわずか。黒き森のトンネル出口が、徐々に大きくなっていく。
遂に視界が明るくなった。
「開けた!」
明るく白けたモニターから光量増幅中の文字が消える。トーンを落とした画面には雲が見える。
「間に合った!」
作戦は成功。
背後の群れを振り返ろうとした時、岩陰から飛び出した攻性獣が機体を突き上げた。直後の衝撃と強烈な圧迫感。
「あぐ!?」
僅かばかりの無重力。
負傷防止のために関節を固定する機能が戦闘服にあったと思い出す頃、再びの衝撃が全身を襲う。
「ぐぅ!」
直後、強烈な圧迫感が無くなった。意識を手放す事は無かったが、グラグラと揺れる視界は濁っていた。
「でも、休む訳には……!」
ぼんやりと見える青い輝線を前に向け、飛び出してきた攻性獣を砕く。だが大群が機体を飲み込もうと、怒涛の進撃を続けているのが見えた。距離はもう幾ばくもない。
轢(ひ)き殺される。
「う!」
思わず目を瞑った。その時、暗闇の中をいくつもの爆発音が耳を打つ。
「な……!? もしかして……!」
恐る恐る目を開けると爆炎が立ち昇り、攻性獣たちが次々と粉砕されていた。
「やった! ソウがやってくれたんだ!」
相棒が差し伸べた救いの手に安堵の息を漏らす。爆炎に照らされながら、アオイはその神業を見た時の記憶を思い出していた。
トモエからの教えを思い返したアオイは、視界端に示された生体情報を確認する。
心拍数は毎分百六十回。すでにレッドゾーンに突入している。
音がよく聞こえない。手も声も震えている。
「自分は普通の人間」
だが、パニックにはならない。
緊張と不安。それらを感じるのは当たり前だと、自らに言い聞かせる。逃げ出したいという原始的な欲求を意志の力でねじ伏せる。
「でも、大丈夫。もう知っている。どうすればよいか」
声の震えが少し治まった。
空気をすべて吐き出し、深く鼻から息を吸う。息が、喉を通り、肺を越え、腹にたまる過程を感じ取る。
心拍数は毎分百十回にまで落ちていた。手の震えは治まり、気迫が全身にみなぎっている。
「迷惑をかける訳にはいかない」
冴え渡ってきた意識を、迫る攻性獣へ向けた。命中率と安全を天秤にかけ、表示される距離を静かに見つめる。
「まだ……。まだ」
自分が巨人と化したかのような映像、三次元に合成された攻性獣の足音、戦闘服が伝える銃を抱える感触。
それらが生身で挑む緊迫感を生む。
「怖いけど、それが普通」
だが、それでも待った。そしてとうとう、攻性獣が想定するラインを越えた。
「今だ!」
気合とともにトリガーを絞る。
銃口から無数の赤い曳光弾が飛び出した。ほとんどが攻性獣に着弾し、その甲殻を砕く。視界の端には、呆気に取られて動かないオクムラ警備の二人。
「援護をお願いします!」
指示に合わせてオクムラ警備の二機が銃を構えた。三つに増えた銃火の光条。弾丸の奔流が、次々と攻性獣を砕いていく。
前に出てきた敵に照準を合わせる、撃つ、引く、次の敵に照準、撃つ。それだけに集中した。
そんな中、システムメッセージがコックピットに響く。
「オーバーヒート警告」
「銃身を交換します! フォローを!」
抜けた穴をカバーするように、オクムラ警備が位置を変える。緊迫した状況とは対照的に、システムメッセージは平静だった。
「銃身交換、開始します。作業完了まで10秒、9秒……」
即座に自動操縦に切り替わり、流れるような所作で腰部のホルダーから交換用の銃身を取り出し交換作業に入る。心臓の鼓動を聞きながら、自信ありげにつぶやく。
「よし。今度はオーバーヒートしなかった」
銃身交換が終わり戦線へ戻る。
三人対応を続けていくうちに、モニターに映る攻性獣の影が疎(まば)らになり、最後の一体が動きを止めた。
ふぅ、と息つくと、オクムラ警備の二人が安堵の声が聞こえた。
「なんとかなったな」
「危なかったぜ」
もう大丈夫と、緊張を解く。深いため息が身体から抜けていった。その時、リュウヘイの声。
「……なんだこりゃ?」
視界に意識を戻すと、ひらひらと舞う蝶が映りこんでいた。
白磁を思わせる羽と赤い瞳。鮮やかなコントラストが持つ神秘的な美しさ。それが無数に集う様はまるで花吹雪のよう。
その姿に見覚えがあった。
「これは……屍食蝶?」
白磁の吹雪は、死骸を食らう掃除屋だった。
可憐な見た目とは裏腹に、屍食蝶は攻性獣の死体にたかる。何かを攻性獣の死骸へ注入し、液化しはじめた死骸をすすり始めた。生々しさに一同が顔をしかめる。
「うわ。気持ち悪いな」
嫌そうに声を上げたレイジが屍食蝶に銃を向ける。何をやろうとしているか察し、思わず制止した。
「ま、待ってください!」
「なんだよ」
「この攻性獣を撃つと――」
今まで習ってきた内容をオクムラ警備の二人に説明する。オクムラ警備の二人はどこか他人事のように聞いていた。
「へえ。そうなのか。知らなかった。リュウヘイは知ってたか?」
「お前が知らない事は、俺も知らねえよ」
「それもそうか」
呑気な反応に内心呆れてしまう。だが、自分も以前は同レベルだったことを思い出し、浮かんできたのは苦笑いだった。
その時、さらに別の群れがモニターに表示される。
「待ってください! 別方向から!」
同時に、通信ウィンドウにトモエの顔。
「アオイ! 聞こえるか! 群れが向かっている! 転送するぞ!」
転送されたマップを見て、思わず頬が引きつった。捉えた群れとは別方向に、赤い輝点が表示されている。つまり――
「え!? 補足したのとは別!?」
二つの群れは現在地を挟んで正反対の方向に位置している。しかも、突撃兵装の機動力でギリギリ間に合うくらいの距離だった。
二つの群れを止めるためには、二手に分かれる必要がある。だが、オクムラ警備の兵装を見て、状況の困難さに顔をしかめた。
(ダメだ。突撃兵装のボクは片方に間に合うけど、この二人はもう片方に間に合わない)
真っ当な手段では防衛は無理だと悟る。
脳裏に浮かぶのは、ヒノミヤとミズシロの夢に満ちた瞳と、無残に壊された設備の前で絶望に満ちた瞳だった。
その顔を想像すると、透明な手に心臓を掴まれたように、呼吸が苦しくなる。
(どうする? どうすれば、両方の群れをこっちに引き付けられる?)
悩む最中、目に一匹の屍食蝶が映った。銃を吹雪の塊に向ける。
「これで!」
銃火と共に屍食蝶が砕け散る。オクムラ警備の二人が声を上げた。
「お、お前! 何をして!?」
「さっき自分で言ってただろう!? 攻性獣が来ちまうって!」
「だからです! 準備を!」
まるでテレパシーでも使ったかのように、攻性獣の群れは即座にアオイたちへ転進した。
「よし!」
直後、トモエからの指示が入る。
「アオイ。今の位置だと挟撃される。指定するポイントまで移動しろ」
「了解!」
指示に従い移動すると、攻性獣の群れが後を追ってきた。指定されたポイントまで退避すると、振り返って照準を赤い瞳へ向けた。
(引き付けて……。無駄弾を使わない様に……)
大量の弾薬を準備してきたが、垂れ流すように使える訳ではない。はやる気持ちを深呼吸で抑え、接近のリスクと命中率のリターンが釣り合うタイミングを見極めた。
「いけ!」
気合と共に放たれた銃弾は、ほぼ全弾が命中する。
調子は悪くない。予め確認していた残弾からすれば余裕とは言えないが、足りなくなる事はないと判断した。
(ちょっときついけど、なんとかなるか)
少しでも無駄弾を使わない様に集中する。その時、銃撃音が一つ消えた。
「やべえ! 動かねえ!」
振り返れば、オクムラ警備の機体が銃口を確認していた。
(動作不良!? こんな時に!? でも!)
だが、装備の一つがダメになっても予備の装備を持ってくるはずと判断した。だが、オクムラ警備が武器を切り替える様子はない。
パニックになっているのかと思い、通信を入れる。
「予備武器への切り替えを!」
「そんな都合よく持ってきてねえよ!」
「え!? サブマシンガンだけ!?」
呆れと驚きに思考が飛ぶ。が、前職の記憶を思い出す。
(そこまでするのはトモエさんだけか……。今はそれよりも)
起死回生の一手。それが必要だった。
思い出されるのは、グレネードランチャーで攻性獣を蹴散らしたヨウコの姿。だが、そんな装備はない。
「どうしよう。爆発物があれば……」
口から洩れた迷い。応じる様に切れ長の三白眼がミニウィンドウに映る。
「こちらにはあるのだがな」
ソウの装備を思い出す。それが今の状況と繋がった。
「……あ! 今から教えるポイントに行くから、狙える? 距離はこれくらい?」
「この距離は……。なるほど。だが植生が濃い。……ここでどうだ」
「結構遠いけど、そこしかないか。じゃあ――」
そこにトモエが待ったをかける。
「アオイ、説明をしろ。詳細不明のまま、実行はさせられない」
「えっとですね――」
内容をトモエに告げる。普通に考えれば無茶な提案だ。それを聞いた第三者が割ってくる。
「本当にできるのか? サクラダ警備とはいえ、新人だろ? ベテランでもできない」
それは元上司だった。言い淀んでいると、トモエが割って入った。
「アオイ。提案に対する勝算、および根拠は?」
根拠は、技量に絶対の信頼を置く相棒がいること。説明に不安や戸惑いが紛れ込まないよう一層注意を払い、声に確信をこめる。
「シミュレーション訓練中に確認しました。精度は十分にありました」
「ソウ。アオイの言うとおりできるということでいいか?」
「問題ありません。他の群れの対応で崖の上に居ます」
「対応しながらでいけるか?」
「命令ならば」
ソウの返事は気負い無く淡々としている。それが、何よりも頼もしかった。
「ということですが、うちの社員に任せてもらっても?」
「……いいだろう。失敗した際の責任さえ取って貰えるならばな」
その言葉で表情が固まる。
トモエの責任に話が及ぶとは考えていなかった。本来ならば元請が責任を取るはずなのだが、丸投げを元上司は口にした。
失敗したら謝罪の場で、トモエが矢面に立つだろう。
(トモエさんに迷惑がかかるかも知れないなんて)
いまからでも提案を取り下げようかと、弱気に襲われる。だが、もう口から出てしまった言葉は戻らない。
だが、トモエの口調に微塵の躊躇も混じってはいなかった。
「許可が出たぞ。やれ」
「ぅえ?」
言葉の意味が理解できなかった。
責任を取るから実行しろ。そう指示していると気付いたのは、二、三秒たってからだった。
即決に声が上擦ってしまう。
「いいんですか!?」
「責任を取るなんて、もともと仕事だ」
幼いころから働いていたがそんな言葉は聞いたことがない。初めての経験に震えた。
「分かりました! ソウ、よろしく!」
「了解」
作戦のためには、攻性獣の群れを狭い範囲に押しとどめる必要がある。
「まずは群れをなるべくまとめます! 一緒に牽制をお願いします!」
「くそ! 本当にできんのか!?」
「なんでこんなことに!」
時に圧をかけ、時に囮になりながら、群れを一箇所にとどめる。
とは言え、火力不足では完全に押さえ込むのは難しい。踏ん張りすぎて、群れに呑まれる恐れもある。
どこで仕掛けるかの判断が求められていた。
(本当はもっと集めたいけど……。そろそろ限界かも)
モニターに映る赤い輝点の群れを睨みながら、決断を下す。
(やるしかない! ソウとトモエさんのためにも!)
自分の提案を受け入れてくれた、ソウとトモエの姿を思い浮かべる。その後、目を瞑(つむ)り、深呼吸をして気を充実させる。
閉じた目を再び見開き、軽機関銃をフルオート射撃しながら群れに近づいた。
「こっちだよ!」
周囲の攻性獣が、一斉にこちらを向いた。
「かかった!」
次いで、後退に転じた。
後退を続けながら時々振り返り、飛びかかろうとする攻性獣にすばやく銃口を向けて粉砕する。
「この! この!」
大群から付かず離れず。危険な距離を保ちながら、暗い森のトンネルを疾走した。
大樹にぶつからないように駆けながら、リアビューに映る攻性獣の群れを見る。そこで心臓が凍った。
左右から二体の軽甲蟻が、盾のような頭部を突き出して体当たり仕掛けようとしている。画面の中のトモエが叫んだ。
「アオイ! 吹かせ!」
とっさにアサルトウィングの出力を上げる。加速度が全身を襲った。
「ぐ!」
先ほどまで機体が居た空間を、攻性獣が押しつぶした。
もし留まっていたら、無事では済まなかっただろう。嫌な汗が頬を伝う。だが、立ち止まっている暇は無い。
まだ、暗い森のトンネルは続いている。
「もう少し!」
機体を更に走らせる。目標地点まであとわずか。黒き森のトンネル出口が、徐々に大きくなっていく。
遂に視界が明るくなった。
「開けた!」
明るく白けたモニターから光量増幅中の文字が消える。トーンを落とした画面には雲が見える。
「間に合った!」
作戦は成功。
背後の群れを振り返ろうとした時、岩陰から飛び出した攻性獣が機体を突き上げた。直後の衝撃と強烈な圧迫感。
「あぐ!?」
僅かばかりの無重力。
負傷防止のために関節を固定する機能が戦闘服にあったと思い出す頃、再びの衝撃が全身を襲う。
「ぐぅ!」
直後、強烈な圧迫感が無くなった。意識を手放す事は無かったが、グラグラと揺れる視界は濁っていた。
「でも、休む訳には……!」
ぼんやりと見える青い輝線を前に向け、飛び出してきた攻性獣を砕く。だが大群が機体を飲み込もうと、怒涛の進撃を続けているのが見えた。距離はもう幾ばくもない。
轢(ひ)き殺される。
「う!」
思わず目を瞑った。その時、暗闇の中をいくつもの爆発音が耳を打つ。
「な……!? もしかして……!」
恐る恐る目を開けると爆炎が立ち昇り、攻性獣たちが次々と粉砕されていた。
「やった! ソウがやってくれたんだ!」
相棒が差し伸べた救いの手に安堵の息を漏らす。爆炎に照らされながら、アオイはその神業を見た時の記憶を思い出していた。