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作者: 円宮模人
少女と危機と救いの手
黒曜樹海こくようじゅかい 最深部

 曇天のもとに広がる黒曜樹海。アオイ機の視覚センサーが樹海の底を覗き見る。

 目を凝らすと、視線の先でズームアップが始まった。拡大された画像の奥には、暗がりに浮かぶ無数の赤い光点が見えた。

「綺麗……。見るだけだったら、だけど」

 幻想的だった。奥に潜む暴力を知らなければ、であるが。

 接近して判明した正確な数は、予想のはるか上だった。

「多い……。囲まれたら押し切られるよ」
「事前の予測と状況がここまで異なるとは」
「他の会社も同じような装備をして出撃していったから、トモエさんが悪いというよりかは、運が悪かったって事だと思うけど」
「だからこそ、チャンスがある訳か。撃破できれば、一気に評価が付く」
「うまく行けばだけど。あそこまでの大群だと、よっぽどの条件がないと」
「効率的な撃破は出来ないか? 有利な地形があれば」
「ちょっと待って」

 周囲を見渡し、小川を見つけた。流れをさかのぼっていくと、木立の奥に明かり。目を凝らすと、映像が拡大される。

 見えたのは光が差す峡谷だった。

 細く切り立った入り口は、大群を迎え撃つのに適した地形だ。

「崖の切れ込みみたいになっている所。そこまで誘い込めば――」
「先程のように、か。なら実行へ移す」
「待って! あそこまでかなり距離があるよ! 追いつかれたら!」
「アクシデントがなければ実行可能だ」
「でも、もうちょっと考えた方が。トモエさんに相談とか」
「テキストメッセージを送ったが返ってこない。オレたちで判断するのが現実的だ」
「いきなりそんなこと言われても。何かあったら――」
「何もなければ成功する。それに、先ほどの結論はどうした」
「ぐっ……」

 怖い。

 攻性獣にのしかかられて、死ぬ一歩手前まで追い詰められた日の記憶が、意識を包む。知らず知らずに息が上がっていた。

 だが、成功した時の見返りは大きい。いざという時はソウがいる。そして、ある少女の顔が頭に浮かんだ。それが働く理由だった。

 自らの危険と、カネで取り戻したい物。二つを頭に詰め込んで、最後に残ったのは取り戻したい物だった。

「……やるよ」
「では行くぞ。オレが突っ込む。アオイは少し離れたところからライフルで援護を。相手が食い付いたらすぐに退却」
「了解」

 通信を切って、ソウ機が弾かれたように駆け出す。その背中をチラリと見て、それでも嫌な予感が消えなかった。

 せり上がる不安を押し込めるように、口から吐いた言葉を耳に入れる。

「何もなければ、大丈夫なんだ」

 攻性獣の群れに向かう途中で立ち止まり、軽機関銃を構えた。

 銃口から伸びる青い輝線の先にはソウ機の後ろ姿が見える。暗闇の奥へ駆けていく僚機を、固唾を呑みながら見守った。

 静かな森の奥から銃声が響いてきた。直後、暗がりの向こうからソウ機が駆けてくる。その背後には、無数の赤い光点がはっきりと映っていた。

「少しでも!」

 トリガーを絞ると曳光弾が一筋の雷となって飛翔した。幾つかは攻性獣にあたり、体躯を砕く。

 だが、迎撃を歯牙にもかけず、群れはみるみる迫ってくる。轟く攻性獣の足音に交じって、ソウの号令が響いた。

「行くぞ! アオイ!」
「わかったよ!」

 軽機関銃を背面マウンターにしまいながら、後ろへ駆けだした。振り返る余裕もない、全速力である。

 自分の身体が動いている訳でもないのに、心臓の鼓動がやたらとうるさい。前から迫る木々を右、左と避けていく。

 何回か樹皮をひっかく音が聞こえたあと、峡谷の入り口が見えてきた。思わず安堵の息を吐く。

「あ、あともう少し――」

 ソウの切迫した声が、安堵を切り落とす。

「新手!? 十時の方向!」
「嘘!?」

 左前方を向く。

 そこには多数の赤い瞳が、暗がりで濁流を形作っていた。しかも、攻性獣の群れは、自分たちよりもはるかに峡谷に近い。

「ダメだ! 間に合わない! 逃げ込めないよ!?」
「右に逃げながら迎撃する!」
「この装備で!?」
「やるしかない!」

 進路を右に変える。当然、攻性獣の群れも後ろを追ってきた。

 ソウ機が、後ろへ半身をひるがえしながら銃撃を放つ。無数の攻性獣のうち、何体かが倒れた。だが、それは土砂降りに手をかざすようなものだ。

 撃つ。倒す。だが止まらない。

 同類の死骸を踏み砕き、次々と後続が襲い掛かる。いつまでも続く悪夢に、とうとうソウがしびれを切らした。

「キリがない! 突っ込んで流れを変える!」
「待って! いくらソウでも!?」
「オレの失態だ! オレが償う!」

 それだけ言って制止も聞かずに、ソウ機が飛び出した。先頭の攻性獣が、突出した僚機へ襲い掛かる。だが、ソウの声には微塵の恐怖も混じっていない。

「甘い!」

 盾のような頭部に裏拳を食らわせて、僅かに見えた甲殻の隙間に最小限の銃撃を叩き込む。

「すごい!」

 後続の攻性獣が、同族の死など無関心とばかりに襲いかかる。だが、ソウは格闘と銃撃を織り交ぜた乱舞で、迫る群れを次々と沈黙させていった。その技量が輝きを見せる。

 自分も加勢するべく、ソウの迫る群れに銃口を向けトリガーを絞った。

「少しでも!」

 だが、砕け散るのは全体の僅かだった。圧倒的な物量を前に、徐々にソウ機へとたかる攻性獣の数が増えていく。

「クソ! 捌ききれない!」

 ソウが叫ぶのと同時に、ソウ機へ強烈な体当たりが加わった。シドウ一式が宙を舞い、こちらへ吹き飛ばされる。

「ソウ!?」

 その後、機体はピクリとも動かない。

「ソウ! 大丈夫!?」

 一言の返事も無い。

「気絶!? 嘘でしょ!?」

 それは絶対絶命を意味していた。多数の攻性獣が叫びも上げずに近づいてくる。生者を恨む幽鬼のような、暗く赤い輝き。

 ゾワリとした悪寒が背中を走り、歯が勝手にカチカチと音を鳴らした。

「来ないで!」

 照準をデタラメに振る。最前列の攻性獣が砕かれて、甲殻と黄色い血肉が飛び散った。

 だが、後続は怯まない。唸り声一つ上げない。ただ淡々と迫ってくる。

 無機質に揺れる瞳に、何の感情も見て取れない。虚無な瞳から、なぜか目を離せなくなった。吸い込まれるような感覚に怖気を覚え、思わず唾を飲む。

 弾倉交換を自動制御に任せながらとにかく、トリガーを引き続けた。

「――ト警告」

 何か聞こえる。だが、それどころではない。

「――ヒート警告」

 システムメッセージが聞こえる。何か大事な事を言っている気がする。

「オーバーヒート警告」

 メッセージが真っ白の意識に突き刺さった。

 我に返り銃身を見ると、陽炎かげろうが立ち上り、灼けた赤を帯びていた。一目で分かる異常だ。そして、失態を犯した事も分かってしまった。

「しま――」

 直後、銃身が爆ぜ散る。

「う!?」

 煙が晴れて見えたのは、無残にひしゃげた軽機関銃の残骸。

「え!? あ!?」

 絶句するしかなかった。

 言葉も発せないまま、迫る攻性獣を見る。もはや副武器のサブマシンガンでは到底対抗できない量だった。

 数秒先に訪れるであろう悲惨な最期を想像し、思わず目をつむる。

「おねえ――」
「そこを動かないでね」

 柔らかな女性の声が聞こえた。

 驚いて振り向くと、グレネードの流星群がアオイ機の頭上を通り越した。その軌道を目で追う。

 グレネード弾は攻性獣の鼻先へ落ちていった。

 閃光と、爆炎と、衝撃が森を抜ける。

 爆発は地面と攻性獣を混ぜ返し、吹き飛んだ土砂と血肉の混合物がアオイとソウの機体へ降り注いだ。無数の土砂が装甲を叩く。

 呆気にとられていると、淑やかな口調の女性の声が聞こえた。

「こんな状況で仲間を見捨てないなんて……。あなた、いい人ね」

 振り返ると、一機の人戦機が映っていた。シドウ型ではあるが、幾分新しく見える。それが多連装グレネードランチャーを構えていた。

「救援!? 合流しないと!」

 ソウの機体を担ぎ上げ救援機の元へ急ぐ。すぐ後ろを攻性獣が追う。必死に逃げている所へ、相手から声が聞こえてきた。

「助太刀するわ」

 救援に来た人戦機は多連装グレネードランチャーを背面マウンターにしまい、代わりに手持ち式ガトリングガンを取り出した。

 重低音が響くと同時に、銃火が森を照らす。放たれた赤の曳光弾は一繋がりの光線のごとく、黒曜の暗がりを切り裂いた。

 アオイを追っていた群れの一部が粉砕される。

「い、今のうちに!」

 ソウ機を担ぎながら、アオイが何とか救援機の背後に回り込む。

「じゃあ、お掃除しましょうか」

 救援機の操縦士がそう言って銃口を振った。光の奔流が森と攻性獣を薙ぐ。木立と攻性獣の甲殻が次々と砕かれて、破片がそこら中に舞い散った。

 圧倒的な殺戮を呆然と眺めていると、女性の柔らかな声が聞こえる。

「援護をお願いできる? この装備、重い上に反動が凄いから取り回しが悪くて、近距離に食い付かれると対応できないの」

 女性の声に聞き覚えがあったが、まずは指示に従う方が先決だと割り切った。

「わ、分かりました!」
「その声は? まぁ、とりあえず今は攻性獣を」

 圧倒的な火力でも撃ち漏らしはあった。

「武器変更! サブマシンガン!」

 機体が背面からサブマシンガンを取り出し、救援機の横に立つ。そして、弾幕を抜けてきた攻性獣を打ち砕く。そんな折、女の楽しげな声が聞こえた。

「ふふ。誰かとチームを組むなんて久しぶりだわ」

 そうやって対応しているうちに、攻性獣の群れが一斉に向きを変えた。違和感を持ちながらも、安堵の息を吐く。

「攻性獣が……逃げた?」

 直後に隣からガチャリという音が聞こえた。振り返れば、救援機が武器を仕舞い終えている。

「どうやら、諦めたようね」
「攻性獣は逃げないって聞いたんですけどね」
「……場合によるんじゃないかしら。攻性獣の生態なんてほとんど分かってないんだし。とにかく、無事に切り抜けたようね。大丈夫だったかしら?」
「え、ええ」

 柔らかく、淑やかで、気遣いに満ちた声色だった。それが休憩所で出会ったヨウコの物とピタリと重なる。

「もしかして、ヨウコさん? この前、食事を頂いた?」
「アオイさんだったの!? 奇遇ね!」
「奇遇ですね……じゃなくて! あの、お礼を!」
「別にいいのよ。それにしても凄いのね。あんなに追い詰められても、仲間を置いて逃げ出さないなんて」
「そ、そうでしょうか?」
「凄い事よ。誇ってもいいわ」
「そんな――」

 返事を言い切る前に、通信機から切羽詰まったトモエの声が聞こえた。

「アオイ! 至急帰還しろ! 大規模な群れがそちらで確認された! 事前の想定外だ!」
「トモエさん! えっと。それは、なんとかなりました」
「なに?」
「助けてくれた人がいて。あのお礼を!」

 そう言って、トモエの通信ウィンドウからモニターへ視線を移す。ヨウコの機体はすでにどこかへ向かって駆け出していた。

「ごめんなさい。私も任務中なの。また今度会ったらゆっくりね」
「いえ! すみませんでした!」

 それだけ、言ってヨウコは立ち去った。しばらく見送っていたが、脇に横たえた相棒の機体にようやく気が付いた。

「あ、ソウの事どうしよう……」

 担いで帰るにしても無茶な話だ。困っていると、かすれるソウの声が聞こえた。

「……アオイか?」
「ソウ!? 気が付いたの?」
「何がどうなった? なぜ助かった?」
「それは――」

 かぶさるようにトモエからの指示が飛ぶ。

「二人とも、残弾と損傷について、情報を転送しろ」
「了解」
「……これはひどいな。すぐに帰還しろ」

 トモエの命令に、二人は大人しく従った。それほどまでに損耗が激しく、継戦が困難だったからだ。二人の初の共同任務は大した成果を上げられないまま終わった。

 それが意味する事に気づいたアオイは、呆然とするしかなかった。
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