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残酷な描写あり R-15
第二話 月曜日のマザー
 世界は暗号で満たされている。
 この暗号を解くためには、どこの国の言語が必要だろうか?


「おはよう、あおい!」
 日本のJCたちは今日も朝から元気だ。あ、ボクもJCなんだっけ、そういえば。
「おはよう、あい
 彼女はクラスメイトのあい梨。何で『り』だけ漢字なのかは分からない。何だかんだで、ボクもJCライフに馴染んでいる。我ながら、環境適応能力にはビックリする。
「ね、ね、今日も帰り遊びに行けないの?」
 小動物みたいな瞳でボクを覗き込むあい梨。普通にかわいい顔だと思う。
「ごめんね、落ち着くまでは早く帰って来いってお母さんたちがうるさいんだ」
「過保護じゃん。昨日もおんなじ断り文句。いつも家で何してるの?」
「主に雑談かな。ま、週一でしか会えないからさ、お母さん。引越ししたてで大変なんだよ」
「え? 週一でしか会えないってどういうこと?」
「うちはお母さんが五人いるから。あい梨は? お母さん何人なの?」
「何それ? 何気にウケるんだけど。変な冗談! アハハ」
 ボクは、それ以上、言葉が出なかった。どうやらお母さんって普通は一人らしい。お母さんが五人いることは秘密にしておこう……。


 言葉は便利だ。でも、その分、扱いが難しい。
 どうしてボクは、四か国語も話せるようになったんだろう。月曜日のお母さんである兎原とはらルナさんは、ハーフで流暢な英語を話す。お母さんたちの中で、一番セクシーでグラマーだ。お父さんは、白系ロシアの血が濃いんだよと僕に教えてくれた。
 ルナお母さんは、英語だけでなく、ロシア語・中国語・韓国語・ペルシア語・ベトナム語・タイ語・タガログ語などもネイティブな発音らしい。考古学者シュリーマンは、独学で十八か国語をマスターしたという。ボクは、ルナさんのお陰で日常的な外国語会話には困らなかった。
 中高大の一貫校だけあって、ボクが通う帝都学院中等部には、交換留学生や帰国子女も多い。自慢じゃないけど、五人のお母さんたちのお陰で、学力は高い。ほんと感謝。……お父さんには、一ミクロンも感謝してないけど。
 通っている外国人は、欧米だけではない。アジア諸国からの在籍者も多い。華僑、韓国人も多いけど、あまり知らない国からも、日本の文化を吸収しようと入学してくる。見た目はボクたちと変わらないのだが、言葉はあまり通じない人たちもいる。学年が上がれば、コミュニケーション能力も高くなるのだろう。高校生や大学生の先輩たちは、シーンごとに使う言語を選んでいるようだ。まぁ、同じ日本人同士でも言葉は通じない、場合によっては家族でさえも。


「これからは国際化社会だから」と外国語を仕込まれた。
 まぁ、物心ついたら、あんな生活だったから仕込まれている感はなかったけど。多国語が自然に身についた感じで、これはルナさんに感謝している。今でも週一で外国語会話教室に通っている感覚だ。今までは日常会話を学んでいたけど、中学校に上がってからは、もっと難しい文学や古典・流行文化などを学ぶようになった。よりネイティブに近づくように。よりその国に自然と溶け込むように。まるでスパイのようだ。
 国際化を目指すなら、英語で十分だし、もっと言えば、アジアの言語よりもフランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語とかの方がよいのでは? ルナさんに一度、その疑問をぶつけたことがある。
「碧は、国際化を欧米化と混同しているのね。例えば、日本人なのに外国人みたいな名前、クラスメイトにも多いでしょう? それは、国際化の弊害なの。昭和時代はキラキラネームなんてマイノリティだったわ。でも、本当の国際化はその名前を聞いて、母国を連想できることよ。このままじゃ、何十年かしたら、名前だけで日本人だなんてわからなくなる。日本人の女の子に『子』をつけた方が、よっぽど国際化だわ」
 だから、欧米の言葉の前にアジアの言葉を教えたいって。でもルナお母さん……説得力ないよ、そのルックスと名前! と心で突っ込みつつ、『兎原ルナ子』という名札を想像して吹きそうになった。
「碧、カタカナでルナ子って想像してたでしょ。漢字表記だったら、月子よ」
 エスパーかよ!
 お母さんたちは皆、なんというか勘が鋭い。ドキッとする。

 ボクは彫りが深いエキゾチックな顔だから、アジアの言葉なら、リアルに溶け込めそうな国々の言葉だなと思う。もしかすると、女装をさせられてるのは、ボクを立派なスパイに育て上げる為なのかも知れない。何にしてもコミュニケーション能力があれば、それだけサバイヴの確率が広がる。今思えば、多国語を特に習ったという感覚はなかった。月曜日は色んな言語が家庭内で飛び交っていただけ。だから自然と学べた。
 親が子に、日本語を勉強として教える感覚はないだろう。生活の中で自然と身につくのだから。ボクは、たまたま言語が多い家庭で育っただけだ。


 ボクは、震災後に福島県の沿岸の街から仙台市に避難してきた。あの『三・一一』と呼ばれる大災害だ。仙台で小学生時代を過ごしてきたのだが、今春、お父さんの気紛れで東京に引っ越してきた。
 仙台では、同じマンションのフロアの五世帯分を借りて、月曜日から金曜日まで日替わりでお母さんのもとに帰っていた。
 五〇一号室がルナさん。
 五〇二号室がありすさん。
 五〇三号室が真紀さん。
 五〇五号室が樹里さん。
 五〇六号室が美奈さん。
 ……って『子』ついてるお母さん居ないし! 日本人の女子らしい名前はどうしたんだよ。そうそう、五〇四号室はない。四は死の番号なので縁起が悪いそうだ。だけど、四〇一号室とか四階はしっかりあったんだけど。所謂『ゴコイチ』で、ワンフロアに五世帯のマンションだった。
 え? 土日? 仙台は近くに温泉街がいくつかあるから、週末はお父さんと温泉宿に泊まっていた。週末親子温泉は、東京に移ってからも変わらないと思う。月曜日の朝はきつい日もあったよ。起きたら一M以上雪が積もってて、車を出せなかったとかね……。月曜日はお父さんが車で小学校まで送ってくれてた。
 そんな生活を六年間も、何の疑いもなく続けていたから、変な家庭環境だと知ってボクはショックを隠せない! だってお母さんは五人もいるし、友達の家にお泊りしたこともなかったし。お父さんは超適当だし……。
 この女装は計画的だったのかな? 小学校四年から髪を伸ばすように言われたけど、仙台の時は、ちゃんと男の子として通っていた。仙台では、福島からの避難者も居たから、『原発いじめ』に遭ったことはなかった。同じ被災地だし。でも、ここ、帝町では違うらしい。


 同級生に『セシウム君』がいたんだ……。
 半谷はんがい君は、焼きそばで一躍有名になったとある沿岸の町から避難して来た。両親を失い、叔母夫婦の家に引き取られたそうだ。震災から既に数年が経ち小学校五年生の時に、彼の新たな不幸が始まった。
『おさななじみ』というテーマで作文を発表した時だった。それまで誰にも話してなかっただけで、彼は嘘つき呼ばわりされた。多分、聞かれなかったから、わざわざ言わなかったんだと思う。わざわざ想い出したくないことだってある。ボクだって、トラウマで記憶がないんだもの。
 彼は両親も幼馴染も津波で失った。幼稚園の送迎バスで津波に遭遇したんだ。目の前で多くの幼馴染が、白く暗い轟音の塊に飲み込まれた。生き残ったわずかな児童達と一人の保母さんとで、道とも住宅地とも見分けのつかない泥濘を歩く。泣きながら歩く。電気もなく、真っ暗な夕方の闇を泣きながら歩く。ようやく辿たどり着いた自宅は、見たことのない瓦礫の山だった。当然、両親の姿はなかった。
 近くの避難所で眠れぬ夜を明かし、明るくなってようやく惨状に気づいた。自宅から三百M離れた瓦礫の山で両親と体が不自由だったお婆さんの遺体が発見された。その瓦礫は全て彼の家の残骸だった。津波でそこまで流されたのだ。
 だから、彼には幼馴染がいない。そのことを作文にまとめ、感動した担任が発表した。元々、震災のショックと方言でコミュニケーションは苦手だったから、いじられキャラだったらしい。
 いじめのスタートは、面白半分だったのかも知れない。中二病と表裏一体で、『特別な存在ではない』クラスメイトが、特別な存在の彼を羨んだのかも知れない。


 セシウム君。
 彼はそうあだ名をつけられた。
 近寄るな、汚染されるだろ。
 賠償金もらって贅沢に暮らしてるんだろ。
 今朝の鼻血はもう止まったのか。

 そこからの日々は地獄だった。だから、彼は学区に関係なく通える私立に進学したのだが、クラスメイトにばれてしまった。学区が違っても、世間は狭い。せっかくサラリーマン並みに通学に時間をかけたのに、ばれてしまった。いじめグループの一人が、学外サッカーに所属していたんだけど、そいつとうちの同級生がチームメイトだったんだ。
 マウンティング。
 スクールカースト。
 弱い連中程、順位をつけたがる。順位をつけて、自分より弱い存在を見つけて優越感に浸り、安堵する。そんな奴らは最低だとうそぶきながら、傍観者でいるボクもまた最低だ。
 なるべく目立たないように暮らしたい。これは珍しくボクとお父さんの意見が一致することだ。
 だ・け・ど!
 気づけば、ボクはいじめグループの前に立ちはだかっていた。
「ボクも福島から避難してきたんだけど、何かある?」
 入学後既に、美少女として一目置かれているボクの行動は意外だったようで、クラスは一瞬ざわめいて静かになった。いじめグループはバツが悪くなったのか、教室から出ていった。
「半谷君も、はっきり嫌だって言いなよ。悪いことしてないんだから」
「そうそう、東京電力使ってるんだから、俺に金払えよ。くらい言ってやりなよ」
 調子の良いあい梨が被せてきた。
「君たちに僕の何がわがんだよ。ずっといじめられて。殴られて……」
「でも、負けてられないでしょ!」
 ネガティブワードを吐き出す半谷君を遮るようにボクは言った。そして
「さすけね、すぐどのっから」と言った。
 座ったままの半谷君は、ボクを仰ぎ見て、一瞬の間をおいて、ありがとうと言いながら机に泣き崩れた。その涙はいつもの悔し涙ではなく嬉し涙だった。
「碧、今の何? 不思議の呪文?」
 あい梨が興味津々で顔を覗き込む。


 ルナさんからどこで暮らしても、地元の言葉を忘れないようにと、外国語以外にも方言も習っていた。まさか、こんなシーンで役に立つことがあるなんて。きっと、半谷君は転んで怪我したり、具合が悪くなったりした時に、大好きなお母さんに言ってもらってたんだろう。
 さすけね、すぐどのっから。
 大丈夫よ、すぐに痛みは治まるからね。と。

「呪文じゃないよ。福島の方言」
「碧って何気に、何か国語も話せるよね。英語や第二外語だって凄いし」
「家では主に日本語だよ。標準語の」
 月曜日以外は、と付け足さないでおいた。面倒くさくなりそうだったから。
「碧って何気に、『主に』が口癖だよね」
「え? そう? あい梨も『何気に』口癖だよね」
「うん。何気にね」
 二人は笑いあった。そうか、口癖か。あまり意識したことなかったな。

 放課後、ボクは半谷君を呼び止めた。辺りには誰もいない。
「半谷君、助けたお礼に一つ質問に答えてよ」
「何?」
 ボクは、真面目な顔で、綺麗なJCの姿で、彼に尋ねた。
「普通は、お父さんとお母さんって何人いるものなの?」


 今日は月曜日。兎原ルナお母さんの家に帰宅する日だ。いつも通り、お父さんは既に帰宅していた。そういえば、仕事何やっているんだろう?
 昔聞いた時は『スパイだ!』ってドヤ顔されたっけ。
「ねぇ、他の家はお父さんもお母さんも一人しかいないって聞いたんだけど!」
「おう、碧。中学デビューで早速反抗期か?」
「茶化さないでよ」
「It's monday today . Remarks in English」
 ルナお母さんが割って入る。
「碧、motherはmany otherの略だぜ。MotherのMをとったら、other他人ですってな」
 またあのドヤ顔だ。僕は戦いを諦めた。

 ボクは幼い頃から、様々な訓練を受けてきた。お父さんと五人のお母さん達から。
 将来、ボクが困らないように。
 たとえ一人でも生きていけるように、と。
 ボクは日常会話くらいなら、四か国語を話せる。面倒くさいから学校では内緒だ。お陰でボクは、中学入学早々にクラスの問題を言葉だけで収められるほどの魅力を身に着けることができた。





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