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作者: あやき
プロローグ
 その四畳ほどの狭い部屋には、今にも切れそうなハダカ電球がぶら下がっていた。
 目を閉じた英理子えりこの耳に入って来るのは、昭和の時代に流行したアイドルの曲だ。しかし、そのアイドルが、引退の際にステージにマイクを置いて去ったことで伝説になっていることなど、平成生まれの英理子には知るよしもない。
 しかし、暗幕代わりにしているカーテンの向こうのステージでは、青春時代を思い出したような客たちが、踊り子に手拍子を送っている。さらに、もっと盛り上がれとばかりに音楽がひときわ大きくなった。
 この曲が終わったら、すぐに英理子の出番だ。    
 ここまで来てしまったら、逃げたくても逃げられない。緊張を紛らわす相手もいない中、想像するのはどうしてもネガティブなことばかりだ。
「大丈夫、大丈夫……」
ゆっくり目を開けると、英理子は誰かが忘れていったのだろう小さな手鏡に自分を写して呟いた。
相変わらず冴えない薄い顔だ。色白なのはまだいいが、自信の無い弱々しい表情と、おどおどする目つきは見ていてあまり気持ちのいいものではない。
厚く化粧をしてしまえば、化粧映えする顔立ちではあるが、性格まではそう簡単に装えない。
ストリッパーとしてデビューしてから三ヶ月が経とうとしているが、ステージに立つ直前は、未だに逃げ出したくなる。何かと世話を焼いてくれる踊り子からは、ステージを楽しめと言われているが、楽しむような心の余裕など微塵もなかった。
まだ覚えきれていないステップを頭の中でおさらいして、出番前の永遠にも感じる時間を、生きた心地がしないまま過ごす。
「きゃっ!」
すると、英理子の足元にコツンと何かが当たった。ステージ上の踊り子がステッキを滑らせてきたのだ。
「エリちゃん、しまっておいてー」
と、踊り子の声も聞こえる。
英理子はステージに向かって返事をすべきか考えたが、邪魔をしてはいけないと判断して、黙ってステッキを拾った。そして、この踊り子の衣装がまとめて置いてある奥の壁に立てかける。
踊り子の衣装や小道具を片付けるのは、次の出番の踊り子の役割だった。ついでにステージに置き忘れられている衣装や小道具が他にないかと一通りチェックをして、暗幕の重なりから手袋を見つけては拾った。
衣装が揃ったと分かると、やることもなくなる。やることがなくなると、緊張の波に襲われる。英理子は早まる心音を落ちつけるために、大きく深呼吸をした。
古い建物のえたような匂いと、衣装に染みついた汗の匂い。それに加えて、ホコリやカビまでが肺の中に吸い込まれるようだ。
決して恵まれた環境ではない。
けれどもこのソワソワした緊張感は、OLをやっていた頃には味わえなかったものだ。デビューしたばかりの頃は辛いことが多く泣いてばかりいたが、今では泣くこともない。

――きっと、私はこの世界が好きなんだ。
 腹をくくってストリッパーになったわけではない。
 夢や希望に燃えていたわけでも、周囲から期待されていたわけでもない。まるで川にたゆとう小舟のように、流れに流されただけのことだ。
やるからにはと一生懸命やってきたつもりだが、好きとか嫌いとかは考えたことなどなかった。
 けれども、お世辞にも綺麗とは言いがたい部屋の中で、汗の匂い漂う衣装に埋もれながら、この世界が好きなんだという気持ちがストンと胸に落ちていた。


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